ただもりづか

忠盛塚(伊勢平氏発祥伝説地)

武士の時代への扉を開けた「平忠盛」ゆかりの地

津市の郊外、産品の地は平清盛の父忠盛が生まれた所といわれ、忠盛の胞衣塚や産湯を使ったという産湯池があって、伊勢平氏発祥地の伝説地として県指定史跡となっている。
平忠盛は「あみにかかった人魚」の民話として語り継がれているなど、この地域と関わりが深かったことが伺える。
源氏とともに武家の棟梁として有名な平氏は、桓武 天皇の曾孫高望王を祖とする。その子国香、孫貞盛・将門のころには東国に土着し勢力を張っていた。しかし、平将門の乱、平忠常の乱以後東国は源氏の地盤と なり、貞盛の子維衡の時に伊勢・伊賀を根拠地とするようになり、寛弘3年(1006)維衡は伊勢守に任ぜられている。
維衡の曾孫正盛は院政と 結 び、白河法皇の寵を得て中央政界に進出し、平氏興隆の道を開いた。その子忠盛は正四位下但馬守に進み武士として最初に内の昇殿を許され、平氏繁栄の基礎を つくった。このときの様子を「平家物語」では、眇(すがね)な田舎武士の昇進をねたんだ公卿が「伊勢瓶子(平氏)は素甕(眇)なり」とはやしあざけったと ある。
ところで伊勢平氏とは、維衡系のことで、その孫貞衡が安濃津三郎、その子貞清も安濃津三郎、その子清綱は桑名富津二郎を称したように、 中 勢から北勢にかけて勢力を伸張させていた。貞衡の弟正衡の流れの正衡・忠衡の昇殿、清盛の活躍などのため、伊勢平氏=忠盛と理解されるようになったと考え られる。そうして貞衡系の伊勢平氏は、いつしか忠盛・清盛の郎従となり、歴史の表舞台から姿を消してしまったのであろう。

DATA

住所
〒-
三重県津市産品1439-1 ほか
電話番号
059-229-3251
問合せ先
津市生涯学習課
備考
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