細野のお地蔵さん

ほそののおじぞうさん

細野のお地蔵さん写真
霊験あらたかなお地蔵さんは、「めなしさん」として慕われ敬まわれて、各地から参詣の人が絶えず、功徳にあずかり病いが癒えた、目が見えるようになったと、喜びの声も数えきれず、報恩のために勧請されたお地蔵さんの数もたいへんなものです。
御命日は、毎月24日。殊に、4月と7月の24日は大命日として、信心厚い人たちで賑わいます。

地元、細野垣内でお地蔵さんのお世話をしています。最近は、車でお詣りの方も多くなりましたので、圃場整備を終えた田中の道を通り抜けた一角に、駐車スペースを設けました。おさそい合わせ、お詣り下さい。 
  • 細野のお地蔵さんその他写真1
  • 細野のお地蔵さんその他写真2
  • 細野のお地蔵さんその他写真3
◆お地蔵さんへの道◆
 三交バス津平木線の『長野』で下車、十字路を右へ折れ、細野の集落を通り越して更に坂道を登ること約半時間。
 秋は紅葉、春は若葉の谷間をよぎり、耳に快いせせらぎと鶯の声に迎えられて辿りつく所に、このお地蔵さんはあるのです。
 信仰心厚い老若男女のほか、バードウオッチングや野草の観察、山菜とり、ハイキングなどを兼ねてここを訪れる人も後を断ちません。
 標高370m余もあり夏なお涼しい聖地です。

◆めなし地蔵という名前◆
身はここに、心は細野の地蔵尊
佛を頼む身こそ安けれ

 一信者が奉納されたという御詠歌が、今日も山あいに響きます。
 このお地蔵さん、古い書物には「目なし地蔵」と仮名書きされています。
 目の不自由な人々の信仰を集めてきたお地蔵さんですから「目成し地蔵」として崇敬し伝えて来たものと思われますが、いつの間にか「目無し」となってしまったようです。
 今では、この方が通りがよく、年々遠くからの参詣者で賑わいをみせていますが、特に注目され始めたのは昭和10年頃からでしょうか。 



めなし地蔵物語(1)

 話は700年程さかのぼります。

関東から移り住み、長野に城を築いて一世を風靡した工藤の家臣であった1人の武士が、密命を受けて城を出て山野を駆け巡り、役目を果たして帰城の途中、旅の疲れで体は動けず目は見えず、遂に城を見ることなく、この地で命の灯を消したのです。

その時、通りかかった仙人に、「わが霊は永くこの地に留って、世の四百四病、殊に眼病を直してあげたい。」と言い残したというのです。

里人たちが、ここに小さな地蔵堂を建てて供養したということです。

 

めなし地蔵物語(2)

 もう1つのお話、これは450年程前のことです。

 名を覚證法師という盲目の僧が、道案内の妻を伴ってどこからか細野に現われ、智永寺に宿を乞い、毎日、近隣の村里を行脚托鉢して修行に余念がありませんでした。

そして、運命の天文5年(1536)6月24日、隣村への道を急いでいた法師は、妻に手を把られて谷川を越える時、足を滑らせて滝に落ち、2人ともこの世を去ったのです。

 法師の徳を慕い、最期を哀れんだ里人たちが、なきがらを獅子見塚に葬り、地蔵さんを建ててお祀りしたということです。

覚證法師夫妻のことは、智永寺の過去帳に記載があります。

 滝は、山を数百メートル下ったところに今もあり、「座頭が滝」と呼ばれています。

DATA
住所 三重県津市美里町北長野