2023年度津クイーンが決定しました!応援よろしくお願い致します。===========2023年度津クイーン左:瀬川桃加(せがわももか)中:菅尾夏希(すがおなつき)右:坂井田桃(さかいだもも)津クイーンのInstagram、Facebookもぜひご覧ください!【出演情報】5月27日(土)津クイーンレッドヒルヒーサーの森&朝津味フォトセッション(朝津味ではハッピーローズフェスタ開催!入園料が別途必要です。10時~14時6月11日(日)津クイーンかざはやの里フォトセッション入園料が別途700円必要です。(団体割引適用)10時~14時半7月1日(土)JR津駅特急「南紀」新型車両HC85系乗り入れお出迎え9:00(予定)7月3日(月)社会を明るくする運動@JR津駅東口構内7:30~8:30(予定)7月23日(日)津クイーンマリーナ河芸フォトセッション10時~14時半※出演はあくまで予定で急遽変更になる場合がございます※フォトセッションはどなたでも参加していただけます。参加料は1,500円となります。当日お支払いください。入園料が必要な場所は別途入園料が必要となります。受付はスタート30分前より開始します。フォトセッションの詳細については090-2132-0820(担当:森下)までお問合せください。
青山高原は室生赤目青山国定公園の一角を形成しており、高原には、東海自然遊歩道と青山高原公園線が整備されていて、夏は平地よりも4℃ほど低い爽快さ。東海自然遊歩道は、青山高原から笠取山に続くなだらか な草原地帯で、あせび、つつじが群生し、訪れる人の目を楽しませています。笠取山山頂からの眺めは絶景で、西は伊賀盆地、東は伊勢湾をへだてて、遠く知 多半島が見渡せます。青山高原公園線は、約10kmのワインディングが続く絶好のドライビングスポットです。また、標高756mの三角点展望台からの伊勢湾を一望できる眺めは絶景です。そして、山頂付近は津市、伊賀市にまたがり、89基(令和3年6月1日現在)の大型の白い風車がゆったりと羽根を回している壮大な景色を楽しめます。青山高原のキャンプ場などのお問合せはこちらをクリック!
標高819mの経ヶ峰は、登山道が整備され、頂上には木組みの展望台が整備されています。青山高原や笠取山、伊勢湾、渥美半島などが眼下に広がり、富士山が見えることもあります。登山ルートや散策マップのダウンロードは下記詳細ページへアクセスしてください。登山マップ詳細はコチラをクリック!芸濃・美里・安濃の散策情報はコチラをクリック!ハイキングを楽しんだ後は榊原温泉へ♪絶景を眺めながらドライブコースも見所の一つ!ご当地グルメの津ぎょうざもぜひご堪能ください!
農産物の直売所はもちろん、道の駅や津市ならでは食材の取り扱い店舗をご紹介します!特集ページはコチラ!
辰水神社は、「ジャンボ干支」は、昭和61年から「ふるさと愛好会」により制作され奉納されており、その年々の干支を潜り抜けることにより「家族円満、万民和楽、五穀豊穣」を願っております。その年の世相に合った干支(12支)を農業後継者達が次々と完成させ、毎 年12月29日から2月11日まで辰水神社の「干支潜り門」として奉納。山村の文化振興と地域活性のため、又地域のシンボルとして参拝者に期待され好評で ある。なお、ジャンボ干支は例年2月末まで辰水神社でみられます。〇主なご祭神 大日霎貴命・麻桑枝太命・応神天皇歴代ジャンボ干支をこちらのサイトでご覧いただけます!
美里総踊り、お楽しみ抽選会(会場入口で先着2,000人に抽選券を配布します)、花火、美里龍神太鼓&龍童太鼓、みさと幼稚園ダンス、第七劇場(演劇)、よさこい踊り、空手演舞、フードコーナー、ブラックライトシアターほか(予定)※荒天の場合は中止(小雨決行)。当日、スケジュールなどが変更になる場合がありますので予めご了承ください。
〇主なご祭神 大日霎貴命・麻桑枝太命・応神天皇辰水神社は、「ジャンボ干支」は、昭和61年から「ふるさと愛好会」により制作され奉納されています。その年々の干支を潜り抜けることにより「家族円満、万民和楽、五穀豊穣」を願い、その年の世相に合った干支(12支)を農業後継者達が次々と完成させ、毎 年12月29日から2月11日まで辰水神社の「干支潜り門」として奉納。山村の文化振興と地域活性のため、又地域のシンボルとして参拝者に期待され好評です。
霊験あらたかなお地蔵さんは、「めなしさん」として慕われ敬まわれて、各地から参詣の人が絶えず、功徳にあずかり病いが癒えた、目が見えるようになったと、喜びの声も数えきれず、報恩のために勧請されたお地蔵さんの数もたいへんなものです。御命日は、毎月24日。殊に、4月と7月の24日は大命日として、信心厚い人たちで賑わいます。地元、細野垣内でお地蔵さんのお世話をしています。最近は、車でお詣りの方も多くなりましたので、圃場整備を終えた田中の道を通り抜けた一角に、駐車スペースを設けました。おさそい合わせ、お詣り下さい。
長野氏の出自については明らかではありません。南北朝時代には、すでに美里町の長野の地を本拠とし、一族を旧安濃郡(現在の安芸郡芸濃町の南半・安濃町・ 美里町・津市の大半)の各所に配置し、旧奄芸郡(芸濃町北部・鈴鹿市南部・河芸町・津市北部)にも勢力を伸ばしていました。南北朝時代(14世紀後半)には、足利尊氏方の有力な武士として、「梅松論」や「太平記」に活躍する様子が記されています。室町時代の伊勢国は、雲出川を境にして南は伊勢国司北畠氏の支配下にあり、北はあまり強い勢力ではありませんが、伊勢守護の支配下にありました。室町幕府 は北畠氏対策と守護勢力のけん制をはかり、将軍の権力を浸透させるために、当時、国人とも呼ばれた北勢各地の有力武士を直接の家来にすることが必要でし た。この親衛隊の役割りを果した者は奉公衆と呼ばれ、全国で300人以上いました。有力な国人であった長野氏も奉公衆に属しながら北勢各地の荘園にも勢力をのばし、応仁・文明の乱(15世紀後半)の頃には三重郡、16世紀には桑名にまで進出したこともありました。"長野城は、美里町桂畑西方の非常に眺めのよい山頂(標高540m)にあります。城跡からは伊勢湾はもとより、中勢南部の山々や平野が一望できます。地元 では""しろんだい・城の台""と呼び、20m×40mの一段高い台状地を中心にして、そのまわりを狭い平坦地が階段状にとりまいています。この頃の城に はほとんど石垣は使用されていません。城跡から尾根づたいに北西約300m離れた所には""馬場""と呼ばれる平坦地があり、その一角には湧水も出ています。城跡の周囲はどこも急斜面が麓まで続さ、天然の要害になっています。この城が文献記録に始めて登場するのは、南北朝時代の争乱を伝える「太平記」延文5年(1360)の記事です。畠山国清らとの抗争に敗れ、京都を脱出し た伊勢守護仁木義長は、この長野城で幕府追討軍の六角氏頼・土岐頼康らに対し、2年以上も籠城戦を続けました。「太平記」には、要害堅固なため、寄手がな かなか近寄れなかった、と記しています。東の城・中の城・西の城は、長野小学校の北側の丘陵上(標高230m)にあります。この名称は江戸時代に書かれた「伊勢一国旧城跡附」によるもので、""じょうやま・経塚""と地元では呼んでいます。それぞれ階段状の台状地・堀切・土塁などがよく残っています。
津市の人は、「おとなしくて自己主張をしない。」とよく言われます。それは、根底に「他人を敬い思いやるやさしさ」があるからではないでしょうか。2006年に、それぞれの歴史と文化を持つ10の地域が合併し、大きな津市になりました。人を思いやる市民性が、合併して15年経っても、それぞれの地域が、特徴を失わずに輝き続ける素晴らしい津市を創りました。新型コロナウイルス感染症の影響で、旅行を控えてみえる方、まずは、地元を旅してみてはいかがですか。津市には、地域を誇りに思い活動する観光ボランティアガイド会が13団体(津観光ガイドネット)あります。基本的に無料でガイドいたしますので、ご利用ください。津市だからこそ出会える新発見が待っていますよ。