辰水神社は、「ジャンボ干支」は、昭和61年から「ふるさと愛好会」により制作され奉納されており、その年々の干支を潜り抜けることにより「家族円満、万民和楽、五穀豊穣」を願っております。その年の世相に合った干支(12支)を農業後継者達が次々と完成させ、毎 年12月29日から2月11日まで辰水神社の「干支潜り門」として奉納。山村の文化振興と地域活性のため、又地域のシンボルとして参拝者に期待され好評で ある。なお、ジャンボ干支は例年2月末まで辰水神社でみられます。〇主なご祭神 大日霎貴命・麻桑枝太命・応神天皇歴代ジャンボ干支をこちらのサイトでご覧いただけます!
例年、2月ごろに来年度の津クイーンの募集をしております。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を鑑み、2022年度津クイーンの選定をしないことを決定しました。その理由として、コロナウイルスの影響で、津クイーン自体の活動が極端に少ないことが挙げられます。せっかく選出された方が満足できる活動ができないと判断したためです。今年度(2021年度)の津クイーンの皆さんには引き続き来年度(2022年度)も活動していただくことを了承していただき、今後の出演をお願いしております。ご協賛者の皆さま並びに、ご支援いただいている皆様にはどうか本活動の趣旨をご理解いただき、ご支援・ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。===========2021年度津クイーン左:森本朱美(もりもとあけみ)中:岩永朗(いわながあき)右:山本琴音(やまもとことね)津クイーンのInstagram、Facebookもぜひご覧ください!【出演情報】10月7日(金)津まつり前夜祭18時30分頃~10月8日(土)津まつり初日 伊勢木綿着用14時~津市観光協会ステージ(津中央郵便局前会場)15時30分~撮影会(お城公園予定)19時~市民総踊り(フェニックス通り)10月9日(日)津まつり2日目 振袖着用13時頃~津まつり会場内グリーティング(記念撮影ご対応いたします)17時~郷土芸能の集いセレモニー(フェニックス会場)10月30日(日) 中止となりました撮影会@一志とことめの里10:00~15:00(予定)11月5日(土)三重刑務所矯正展(岩永朗)8時40分頃からテープカットに参加させていただきます11月6日(日)撮影会@伊勢志摩スカイライン山頂展望台一帯4支部合同撮影会11月20日(日)撮影会@錫杖湖水荘周辺10時~15時(予定)※出演はあくまで予定で急遽変更になる場合がございます※津クイーンは観光レディとして、イベントや各式典などに参加してます。出演依頼の方はお気軽にご連絡ください。※津クイーンの撮影会に関しては、他支部会員1,500円、一般参加者は2,000円の会費を当日徴収致します。※出演内容は予告なく急きょ変更になる場合がございます。※撮影会につきましては、中日写真協会津支部中林(090-5115-2007)までお問い合わせください。
〇主なご祭神 大日霎貴命・麻桑枝太命・応神天皇辰水神社は、「ジャンボ干支」は、昭和61年から「ふるさと愛好会」により制作され奉納されています。その年々の干支を潜り抜けることにより「家族円満、万民和楽、五穀豊穣」を願い、その年の世相に合った干支(12支)を農業後継者達が次々と完成させ、毎 年12月29日から2月11日まで辰水神社の「干支潜り門」として奉納。山村の文化振興と地域活性のため、又地域のシンボルとして参拝者に期待され好評です。
青山高原は室生赤目青山国定公園の一角を形成しており、高原には、東海自然遊歩道と青山高原公園線が整備されていて、夏は平地よりも4℃ほど低い爽快さ。東海自然遊歩道は、青山高原から笠取山に続くなだらか な草原地帯で、あせび、つつじが群生し、訪れる人の目を楽しませています。笠取山山頂からの眺めは絶景で、西は伊賀盆地、東は伊勢湾をへだてて、遠く知 多半島が見渡せます。青山高原公園線は、約10kmのワインディングが続く絶好のドライビングスポットです。また、標高756mの三角点展望台からの伊勢湾を一望できる眺めは絶景です。そして、山頂付近は津市、伊賀市にまたがり、89基(令和3年6月1日現在)の大型の白い風車がゆったりと羽根を回している壮大な景色を楽しめます。青山高原のキャンプ場などのお問合せはこちらをクリック!
農産物の直売所はもちろん、道の駅や津市ならでは食材の取り扱い店舗をご紹介します!特集ページはコチラ!
細野ルート(美里町)は、経ヶ峰登山の中では最短ルートで、笹子谷ルートよりもやや上級者向けです。写真の根っこは細野ルートならでの景観です!駐車場はめなし地蔵近くの駐車場をご利用ください。(20台以上駐車可能)また、美里フラワービレッジは大人気産直市場♪美里ならではの物産品が販売されています。
長野氏の出自については明らかではありません。南北朝時代には、すでに美里町の長野の地を本拠とし、一族を旧安濃郡(現在の安芸郡芸濃町の南半・安濃町・ 美里町・津市の大半)の各所に配置し、旧奄芸郡(芸濃町北部・鈴鹿市南部・河芸町・津市北部)にも勢力を伸ばしていました。南北朝時代(14世紀後半)には、足利尊氏方の有力な武士として、「梅松論」や「太平記」に活躍する様子が記されています。室町時代の伊勢国は、雲出川を境にして南は伊勢国司北畠氏の支配下にあり、北はあまり強い勢力ではありませんが、伊勢守護の支配下にありました。室町幕府 は北畠氏対策と守護勢力のけん制をはかり、将軍の権力を浸透させるために、当時、国人とも呼ばれた北勢各地の有力武士を直接の家来にすることが必要でし た。この親衛隊の役割りを果した者は奉公衆と呼ばれ、全国で300人以上いました。有力な国人であった長野氏も奉公衆に属しながら北勢各地の荘園にも勢力をのばし、応仁・文明の乱(15世紀後半)の頃には三重郡、16世紀には桑名にまで進出したこともありました。"長野城は、美里町桂畑西方の非常に眺めのよい山頂(標高540m)にあります。城跡からは伊勢湾はもとより、中勢南部の山々や平野が一望できます。地元 では""しろんだい・城の台""と呼び、20m×40mの一段高い台状地を中心にして、そのまわりを狭い平坦地が階段状にとりまいています。この頃の城に はほとんど石垣は使用されていません。城跡から尾根づたいに北西約300m離れた所には""馬場""と呼ばれる平坦地があり、その一角には湧水も出ています。城跡の周囲はどこも急斜面が麓まで続さ、天然の要害になっています。この城が文献記録に始めて登場するのは、南北朝時代の争乱を伝える「太平記」延文5年(1360)の記事です。畠山国清らとの抗争に敗れ、京都を脱出し た伊勢守護仁木義長は、この長野城で幕府追討軍の六角氏頼・土岐頼康らに対し、2年以上も籠城戦を続けました。「太平記」には、要害堅固なため、寄手がな かなか近寄れなかった、と記しています。東の城・中の城・西の城は、長野小学校の北側の丘陵上(標高230m)にあります。この名称は江戸時代に書かれた「伊勢一国旧城跡附」によるもので、""じょうやま・経塚""と地元では呼んでいます。それぞれ階段状の台状地・堀切・土塁などがよく残っています。
津市の人は、「おとなしくて自己主張をしない。」とよく言われます。それは、根底に「他人を敬い思いやるやさしさ」があるからではないでしょうか。2006年に、それぞれの歴史と文化を持つ10の地域が合併し、大きな津市になりました。人を思いやる市民性が、合併して15年経っても、それぞれの地域が、特徴を失わずに輝き続ける素晴らしい津市を創りました。新型コロナウイルス感染症の影響で、旅行を控えてみえる方、まずは、地元を旅してみてはいかがですか。津市には、地域を誇りに思い活動する観光ボランティアガイド会が13団体(津観光ガイドネット)あります。基本的に無料でガイドいたしますので、ご利用ください。津市だからこそ出会える新発見が待っていますよ。
「ここが昔、海だった頃……」 こんな話を始めたら、美里をまだよく知らない人は、きっとひどく驚くでしょう。「美里が海だった頃?」 緑なす山々に囲まれ、最も近い海岸まででも直線距離にして約8kmもある美里。今の姿を見るかぎり、ここに塩水が満ち、サンゴが美しい彩りを添えていたなんて、信じられないのも無理はありません。 しかし2000万年前、美里は確かに海だったのです。貝石山は、一志郡層とよばれる新生代第三紀層に属します。海底に堆積した層が隆起して、現在の貝石山になりました。最も貝類の化石が多いことが名前の由来です。砂岩の化石床が露頭する奇景は、三重県の天然記念物に指定されています。
美里総踊り、お楽しみ抽選会(会場入口で先着2,000人に抽選券を配布します)、花火、美里龍神太鼓&龍童太鼓、みさと幼稚園ダンス、第七劇場(演劇)、よさこい踊り、空手演舞、フードコーナー、ブラックライトシアターほか(予定)※荒天の場合は中止(小雨決行)。当日、スケジュールなどが変更になる場合がありますので予めご了承ください。