伊勢別街道(楠原宿&旧角屋旅館)
津市芸濃町楠原は三重県中北部、鈴鹿山麓の南東丘陵地に位置する。
東海道関宿から楠原・椋本・一身田を経て津に至る参宮道の伊勢別街道が通っていた。慶長13年(1608)以降津藩領。
この道が開かれたのは平安時代のことで、京都方面からの参宮道となった。その頃の伊勢別街道は楠原から安濃川沿いを南下して一身田から津に至る道だったが次第に廃れ、これに代わって室町時代後半位から、豊久野を経由する伊勢別街道が重要視されだし、椋本宿が開かれたので、楠原宿は少し衰退した。
楠原の寛延年間(1748~51)の家数154・人数563・馬26・牛4で問屋場・高札場があった。
産物は薪であった。慶応2年(1866)から茶の栽培が始まっている。
今、古い町並みは旧伊勢別街道沿いに展開している。緩やかな傾斜で東西に延びる道の両側に、千本格子を残した伝統的な様式の家屋が連なる。集落の中央付近で街道が折れ曲がる「枡型」が完全な形で残っている。
切妻造り・平入りで、平屋建て・中2階建て・2階建てと混在し、建築年代も江戸末期から明治・大正・昭和と異なるでしょうが、どの家も伝統的な建築様式が守られている。無意識だろうが住民の伝統意識の強さがこの古い町並みを守っているのだろう。行政の保存・保護などの指導がある様でも無いが、これだけ立派に伝統的な古い町並みが残っているのは珍しい。
住所 | 三重県津市芸濃町楠原 |
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芸濃郷土資料館では、芸濃町地域の歴史・文化財を紹介しています。
1階のエントランスホールではかんこ踊りの人形が皆さんをお出迎えし、2階の展示室は遺跡、仏像、民間信仰、街道などをテーマに多数の貴重な文化財を展示しています。
また、民具・農具展示室を別に設け、生活用具の変遷を見ることができます
電話番号 | 059-265-6000 |
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伊勢別街道椋本宿の中ほどにあり、創業は江戸時代。伊勢参宮の講札などが大切に保存され、当時の旅籠の形態とにぎわいをしのばせます。国の登録有形文化財になっています。
住所 | 三重県津市芸濃町椋本727 |
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高さ18メートルあまり、周囲8メートルのムクの巨木。樹齢、1500年以上と言われています。
「嵯峨天皇の頃(809~822)、征夷大将軍坂上田村麻呂の家来、野添大膳父子が伊勢路を流浪し、この地に逃れた時、巨大なムクの木を見つけ、その下に草庵をつくって住んだ。」これが、椋本の発祥だと言い伝えられています。
明治3年9月18日の夜、暴風によって巨枝がおれてしまった。その時の神官、駒田巽氏がその枝をそのままにしておくのは、しのびないと考え、獅子頭を彫刻し、明治7年、椋本神社に奉納しました。
昭和9年1月22日には、国の天然記念物に指定されています。
【樹種】 椋(ニレ科)
【幹周り】 8m
【指定樹齢】 樹齢 1500年(推定)
【指定種】 国天然記念物(昭和9年1月22日指定)
●三重県内幹周順位 10位(ムクとしては1位)
●国内ムク幹周順位 2位(環境庁の調査による)
住所 | 三重県津市芸濃町椋本692 |
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〇ご祭神 結城宗広朝臣
〇結城神社は後醍醐天皇を奉じて「建武中興」の樹立に貢献した結城宗広公を祀ってあります。ここは古くから結城の森と伝えられ、結城塚とか結城明神とよばれてあがめられています。 結城宗広公の立派な墓碑があり、華麗なしだれ梅でも有名です。
結城神社への周辺Mapはコチラ♪
その他オススメ梅園のモデルコースもあわせてお楽しみください。
【神賑行事】
2月11日(土)琴奉納演奏 10時~
2月26日(日)居合奉納演舞 11時~
3月 3日(金)伊勢の津七福神 観梅祈願祭 11時~
祈願祭参加希望の方は、10時半より受付を開始します。
御志納金1,000円をお納めの上、梅園を回遊していただきます。
3月 3日(金)しだれ梅音頭奉納 13時30分~
※ 備考欄下のPDF資料は、令和5年(今回)のものです。参考にしてください。
住所 |
〒514-0815 三重県津市大字藤方2341 |
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電話番号 | 059-228-4806 (結城神社 社務所) |