北神山の花街道と普門寺の桜
芸濃郷土資料館では、芸濃町地域の歴史・文化財を紹介しています。
1階のエントランスホールではかんこ踊りの人形が皆さんをお出迎えし、2階の展示室は遺跡、仏像、民間信仰、街道などをテーマに多数の貴重な文化財を展示しています。
また、民具・農具展示室を別に設け、生活用具の変遷を見ることができます
電話番号 | 059-265-6000 |
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大同元年(806)に、伝教大師・最澄の開基によるものと伝えられ、本尊は十一面観音です。
天正2年(1574)に兵火で消失し、享保5年(1720)観音寺を普門寺と改めて再建。境内は桜の名所としても有名です。
普門寺には、『幽霊の小袖』が保管されています。
住所 |
〒514-2211 三重県津市津市芸濃町林1264 |
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電話番号 | 059-266-2519 ( 津市教育委員会事務局芸濃事務所) |
伊勢別街道は、東海道関宿(亀山市)の「東の追分」を起点として、江戸橋の西詰めで伊勢街道(参宮街道)に合流するまでの延長約22キロメートルの街道です。この街道は江戸時代に、五街道以外の主要な街道である「脇往還」の一つとして整備され、京都方面から伊勢神宮へ参詣する人々が、この街道を盛んに往来していたことが知られています。「伊勢別街道」の名称が定着するのは明治時代になってからで、それまでは「いせみち」「参宮道」「山田道」などと呼ばれていました。
応永25年(1418年)に、室町幕府4代将軍足利義持が伊勢神宮へ参詣した時の様子を記した花山院長親の「耕雲紀行」には、伊勢別街道のコースを通った記述があり、遅くともこのころまでには街道の原型が存在していたようです。
この街道と県道津関線が交差する付近、現在の芸濃町はやしに常夜灯が1基建っています。常夜灯とは、夜道などの安全を確保するために、一晩中火をともしておく灯火のことで、林の常夜灯のように、伊勢神宮への参詣者のために建てられたものを参宮常夜灯といいます。
この常夜灯の竿石[さおいし]には、「御神燈 右さんぐう道」「左り京道」「安永五丙申歳六月」と彫られていることから、道しるべを兼ねた常夜灯であったことが分かりますが、もともと現在の場所に建てられたわけではありません。その位置は転々と変わり、明治末期から5回も移動したことが伝えられています。もとあった場所は、竿石に刻まれた道の標示から推察して、北へ約500メートルのところにある国の登録有形文化財「旧明村役場庁舎」前の十字路の北東の角にあったと考えられています。
地元の言い伝えによると、明治時代には集落の各戸が火打ち石を入れた箱を回し、輪番で毎夕この常夜灯をともしたといわれています。今では電灯がともされるようになり、この常夜灯は地元の皆さんの生活の中に息づいています。
住所 | 三重県津市芸濃町 |
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住所 |
〒514-0033 三重県津市丸之内27-16 |
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電話番号 | 059-225-8558 |