大河ドラマ記念 江ゆかりの地をめぐる旅

江とは? 江の波瀾万丈の人生と、家系図、ゆかりの地マップをご紹介します。

江歴史年表 江の系図江ゆかりの地マップ

江歴史年表

1573年
津で過ごした九年間
1573年、江は近江の小谷城(現在の滋賀県長浜市湖北町)で生まれました。父は小谷城城主・浅井長政、母は織田信長の妹・お市。江には長姉・茶々(後の淀)、次姉・初がおり、これが有名な浅井三姉妹です。

江の生まれた年、江にとっては母方の伯父・織田信長の攻撃により小谷城は落城し、父・浅井長政は自害します。この戦いでは、木下秀吉(後の豊臣秀吉)も信長軍として功績を上げました。お市と江ら三姉妹は信長軍に救出され、清州城を経て、信長の弟・信包の居城であった伊勢上野城で暮らすようになります。

お市と江ら三姉妹は、伊勢上野城で7年、その後、天守閣が完成した安濃津城(現在の津城)に移り2年の計9年間を、津の地で過ごしました。津を去った後の波乱と苦難の人生を考えるに、津で母子水入らずに過ごした9年間は、江ら三姉妹にとって最も幸せな年月だったのではないでしょうか。
1582年
母の死から秀吉の庇護下に
1582年、本能寺の変で信長が死去したことにより、お市と江ら三姉妹の人生は急展開します。お市は柴田勝家と再婚、三姉妹を連れて越前の北の庄城(現在の福井県福井市)に移ります。

しかし翌年、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)軍に敗れ、お市は柴田勝家とともに自害、三姉妹は秀吉軍に保護されました。この時、江10歳。この後、三姉妹は、父母の仇である秀吉の庇護のもと安土城で暮らします。
1584年
一度目の結婚
1584年、秀吉の命により、末っ子である江が、12歳にして三姉妹の中で一番先に結婚が決まります。相手は、尾張の大野城(現在の愛知県常滑市)城主・佐治一成で、江には母方のいとこにあたる人物です。しかし結婚の同年、一成は、長久手の戦いで秀吉の敵方・徳川家康に味方したとして秀吉の怒りに触れ、結婚はたった10ヶ月ほどで離縁となり、江は安土城へ戻ります。
1592年
二度目の結婚
月日は流れ、次姉・初は京極高次に嫁ぎ、長姉・茶々は秀吉の側室となりました。
1592年、江が20歳の時、秀吉の甥・羽柴秀勝と再婚しますが、再婚後1ヶ月ほどで秀勝は朝鮮へ出兵、戦地で病死してしまいます。このとき江は秀勝の子を宿しており、同年、女児が生まれました。江は再び、長姉・淀(茶々)のもとに身を寄せます。

崇源院「江」(京都市養源院蔵)

1595年
三度目の結婚
1595年、江が23歳の時、秀吉のはからいで徳川家康の嫡男・秀忠と三度目の再婚をします。前夫・秀勝との娘は、淀に引き取られました。
1598年
秀吉の死により、次第に姉・淀の豊臣家と、江の嫁ぎ先・徳川家との対立が深まります。
1600年
関ヶ原の戦いで徳川方が勝利したことにより、徳川家の勢力が強まります。
1614年
大阪冬の陣で、ついに豊臣家と徳川家が対立、次姉・初が和睦交渉に努めます。
1615年
次姉・初の願いも叶わず、徳川の攻撃により長姉・淀と息子・秀頼は自害しました。 江は、秀忠との間に、千姫、徳川家光など2男5女をもうけ、二代将軍・秀忠の妻、三代将軍・家光の母として、栄華を極めます。
1626年
江は江戸城で息を引き取ります。54歳の波乱の人生でした。

江の系図

江の系図
【伊勢上野城へ大型バス等でお越しの方への駐車場につきまして】
 ・国道23号からお越し方は、河芸町朝陽中学校前の交差点を西へ曲がります。
 伊勢鉄道の高架を通過したのち、1本目の交差点を右に曲がります。
 河芸総合支所前の第二駐車場(南東側駐車場)に駐車して下さい。
 ※周辺での路上駐車はおやめください。

 ・伊勢上野城まで徒歩13分

 ・詳しくは河芸総合支所まで
 TEL:059-244-1700

(社)津市観光協会

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